ITをめぐる法律問題について考える

弁護士水町雅子のIT情報法ブログ

ハンコの意義・価値(DXに向けて)

コロナでリモートワークが行われるようになって以降、ペーパーレス、ハンコレスなどが注目されていますが、そもそも文書にハンコが押してあるかどうかはどういう意味を持つかについて、おさらいしていきたいと思います。

 

ハンコが押していないからといって、法的証拠にならないわけではありません。また証拠能力に欠けるわけではありません。なお、法務省も「押印に関するQ&A」を出しています。

 

 

1.証拠能力

「証拠能力」という言葉を聞くことがあると思いますが、「証拠能力」というのは、証拠として公判廷で取り調べをすることができる適格をいうとされています(法律学小辞典より)。

 

例えば、TVドラマや映画などで警察が立入するときに「おらー、令状見せろやー」とかって若い衆が言っている様子が映ったりしますが、逮捕もせず令状もなく同意もなく捜索差押えした覚せい剤などは、いくら本物の覚せい剤であっても、違法に警察が押収したものとなり、裁判で証拠として使うことはできません。刑事事件の場合に、違法に収集した証拠などは証拠能力を欠くとされます。あとは伝聞証拠など。

 

以上は刑事訴訟の場合です(刑事訴訟とは、平たく言うと犯罪として裁かれる裁判)。

 

民事訴訟の場合は、証拠能力を欠く証拠は原則としてありません*1

民事訴訟の場合は、(1)形式的証拠力(2)実質的証拠力が問題になります。

 

2.形式的証拠力とは

形式的証拠力とは、文書が、立証する側が言う通り、特定の人の思想の表現であると認められることを言います(法律学小辞典、新堂幸司「新民事訴訟法」より)。

 

例えば、取引先にこちらはちゃんと商品を納品したのに、取引先が代金を支払ってくれないとします。こちらとしては「納品後1ヶ月以内に100万円支払う」約束をしたと思っていますが、取引先はこちらの「サービスで無償対応でやってもらう」約束をしたと言い張ります。

こういう争いの際に有力な証拠になるのが、代金を定めた売買契約書です。

しかし、この売買契約書についても、取引先とこちらとの契約ではなく、取引先が一方的に作ってこちらのサインをまねて勝手に署名してしまったもの、又は取引先が勝手にこちらのはんこを買ってきて押してしまったものという可能性もなくはありません。

取引先が勝手に契約書を作ってこちらの合意を偽装した場合は、契約書という文書が真正に成立したものではないので、いくらその契約書に「サービスで無償対応とする」と書いてあったとしても、証拠とならないとすべきです。

こういう問題を「形式的証拠力」といいます。証拠の内容云々ではなくて、そもそもその証拠が証拠たりうるかの問題というか、うまく説明できないのですが、内容そのものではなくて、証拠になりうるのか、証拠として使う前提のようなものかもしれません。

なお、「実質的証拠力」は、証明に役立つ効果のことをいい、証拠の内容うんぬんの話になってきます。売買契約書であれば証拠価値は高いですね。売買契約書でなく、証人の証言などを証拠とする場合は、それが信用できるかどうか、証人の立ち位置・利害関係の有無、証言内容など様々な面から自由心証で認定されます。

3.ハンコがあれば形式的証拠力があるのか

契約書などにハンコが押してあれば、必ず形式的証拠力があるわけではありません。ハンコを勝手に持ち出されて押されたり、似たようなハンコを買ってきて勝手に押されたりする可能性があるからです。このような事情があれば、それを裁判で明らかにする必要があります。

そして、契約書にハンコが押していなくても、署名があればハンコと同等の効果があります(民事訴訟法228条4項)。

(文書の成立)
第二百二十八条 文書は、その成立が真正であることを証明しなければならない。
2 文書は、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めるべきときは、真正に成立した公文書と推定する。
3 公文書の成立の真否について疑いがあるときは、裁判所は、職権で、当該官庁又は公署に照会をすることができる。
4 私文書は、本人又はその代理人署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する
5 第二項及び第三項の規定は、外国の官庁又は公署の作成に係るものと認めるべき文書について準用する。

 

4.実印が押してあれば形式的証拠力があるのか

では、押してあるハンコが実印なのか三文判なのかによって、形式的証拠力は変わるのでしょうか。

変わる可能性は当然あります。ハンコが持ち出されて勝手に押されたり、ハンコと同じものを買ってきて勝手におされるという可能性で考えると、三文判なら管理もずさんで鍵もかかっていない引き出しや下手するとその辺に置いてある可能性もあります。そして文房具屋さんや100均でも売っています。それに対して、実印のような大事なものは施錠保管されていて簡単に持ち出せなかったり、書体などが特殊なハンコだったりする場合が多いので簡単に買ってこれない場合が考えられます。

とはいえ、実印であれば100%安心なわけではありません。実印であっても、「実印を押さないと殺すぞ」といわれておどされて無理やり押さされたり*2、実印を勝手に持ち出されて押されたり、実印と同じハンコを買ってきて勝手に押されたりする可能性がゼロではなく、現実問題としてありえなくはないからです。

 

何をやれば確実に安心というものではないのです。裁判で争いになったら、どういう事情でどういう風に誰がハンコを押したのか、又は誰が署名をしたのかというのを明らかにしていくことになります。

 

 

*1:もっとも、法律で制限が認められている場合があり(民訴160条3項など)、その他民事でも違法収集証拠の証拠能力については議論はあります。

*2:強迫のように作成者の意思に重大な瑕疵がある場合には、形式的証拠力の問題と解するようである。前新藤585ページで注釈民訴(7)17ページにそのような記載があると書いてあるが、注釈民訴(7)自体は筆者未確認。