私が学生の頃は、「法律に基づく行政」という概念を勉強しました。
しかし、いざ霞ヶ関で勤務してみたり、地方自治体の方のご相談に乗っていると、実際上、公務員においては「法律に基づく行政」という概念が希薄であるのではないか、と感じることが往々にしてありました。
例えば、霞ヶ関にはさまざまな相談が来ます。
「私はこういう行為をしようと思っていますが、適法ですか?」みたいな相談です。
これ、弁護士が普通に考えれば、
- 関係法令をチェックする
- 関係法令の条文を確認する
- 関係法令の解釈を確認したり解釈論を検討し、問題となる行為が適法かどうか検討する
- 関連裁判例もチェックする
という過程を経て、適法かどうかを判断すると思うのですが、公務員の方は、常識や自分の意見に照らして、「OKだよねえ」「いや、まずいでしょう」と判断しようとされる方がそこそこいらっしゃいます。もちろん、リーガルマインドのある公務員の方であれば、そんな思考はしないのですが、結構、こういう方がいらっしゃるように経験的には思いました。
こんな検討過程であれば、「公務員の判断」で、その行為が許されるかどうかが決まってしまいます。そこには基準も理由もなく、「いや、なんとなく、それは普通に考えればそうでしょう」という理由しかありません。
これがどんなにあぶないことか、わかっていらっしゃらない公務員の方がそこそこの数いらっしゃるように思います。
ただ、一般に言われているように、公務員が賄賂をもらって都合よく判断するということはほとんどありませんし、賄賂をもらわないまでも、気に入らない相手に冷たい判断をしたり、気に入っている相手や仲の良い業者に有利な判断をしたり、といったような、そういう倫理に反する判断をする人はめったにいないのですが(といっても、非常に少数ながらそういう人もいるわけで、大変問題です)、反倫理的な判断でないとしても、自分のフィーリングではなく、「法律に基づく行政」という観念をしっかり心に根差して職務執行されている方は、多数派ではないように見えなくもないのです。
公務員がフィーリングで、個々の行為について「OK」「NG」と直感で決めてしまっては、公務員の好き嫌いで判断されてしまう恐れが普通にあります。そうではなくて、議会で議論されて成立した民主的な法律・条例を根拠として、行政活動は行わなければならないわけです。
今日、大橋洋一先生の『行政法Ⅰ』(有斐閣、2013年)を読んでいたら、このような記載がありました。
一般に、(1)法律が行政活動について一般的抽象的な規律を定め、(2)行政機関が具体的な事案において市民Aに法律規定を適用するといった2段階の構造で行政活動は行われる。
実際、霞ヶ関で勤務していると、
(1)法律を作成し、法律が成立する
(2)法律を適用して行政活動を行う
の間に
(1.5)法律の解釈基準を定立する
という作業が必要になります。あくまで行政有権解釈に過ぎませんが、個々の事案において法律を適用するための解釈基準を定立するという作業です。
私はこれを一生懸命やったのですが、霞ヶ関の生粋の公務員の方には、「なんで、そんなことやる必要があるの?」という方がいらっしゃるんですね。残念ながら、国家1種の法律職の方だったら、行政法を勉強して試験に合格しているはずでしょうに、そういう風に言う方が何人もいらっしゃいます。国家2種、3種も行政法は受験科目なんですかね。ちょっとわからないのですが。
しかし、法律にすべて明示的に書ききれていればいいですが、そうではない場合があります。例えば、番号法にいう「特定個人情報」の範囲、「特定個人情報ファイル」の範囲は、法文だけ見ても不明瞭です。そんな中、「うちはAという状況なんですが、これって特定個人情報ファイルに当たりますか?」とか「うちはBという状況なんですが、特定個人情報ファイルに当たりませんよね」という質問が来ます。その時に、「うん、何となく当たらない感じだよね」「当たる感じだよね」という、フィーリング判断をしようとする霞ヶ関の方がいらっしゃいますが、それではまずいわけです。
法律では、特定個人情報を「個人番号をその内容に含む個人情報」と規定していますが、「内容に含む」とは具体的にどのように判断するのか、これを考える必要があります。これを特に基準を立てることなく、「なんとなく含んでいるよね」「なんとなく含んでいないよね」では、行政機関として責任を持った法執行ができないと思います。
そこで、「特定個人情報」に該当すると判断される場合は、どのような要素を含んでいるのか、などを考えます。番号法は特定個人情報にどういう規制をおいているのか、なぜそのような規制を行う必要があるのか、そうであるならば、どのような場合に、番号法上の特定個人情報としての規制を及ぼす必要があるのか、特定個人情報の範囲を客観的に判断するための要素はなにか、などを検討します。
そうして一般的な解釈基準を定立し、いくつか考えられる具体的事例を想像し、そういった事例に解釈基準を当てはめたときの結論の妥当性を確認します。その上で、解釈基準を確定していく、ということが求められる公務員の仕事だと私は思うのですが、どうしてもわかってくださらない公務員の方がいて、「はあ? これって別にOKじゃん? はあ? だったらどうしてBの場合はNGなの? なんなの?」とかって、それが解釈基準の妥当性チェックのためではなく、どんなに論理的に説明しても、確たる一般的基準を確立したうえでそれに当てはめて解釈しなければ、正当・公平な解釈にならないということがどうしてもどうしても理解してもらえず、絶対に自分のフィーリングで判断したいという方がいらっしゃるのですよね。
さらには、一般的な解釈基準云々にたどり着く前に、問題となる行為がどの法律のどの規定に反するのか、その検討すらしない霞ヶ関の方がいらっしゃいます。「こんなことやっちゃまずいでしょう」、その理由だけで、違法といえたら、法律はいりませんよね。残念なことです。リーガルマインドの欠如でしょうか。
大橋洋一先生の同書28ページを引用したいと思います。
市民は行政決定の予測可能性と平等取扱いを享受し、恣意的(=非合理的)な行政決定から解放される。法治主義の根底には、市民に行政活動の概観可能性を担保し、合理的決定を保障するという期待が存在する。法治主義は市民と行政との間に透明な空間の設定を要請する。
なんか、内容のない記事になってしまいましたが、行政法の教科書を読みながら、「法律に基づく行政」って大原則なのに、どうしてそれを理解してくれない公務員がいるのだろうと、ついついブログを書いてしまいました。
最後に、大橋先生「行政法Ⅰ」23から38ページのメモです。
- 統治主体(=行政)と市民との関係は権力関係であり、権力を有する者がその意向に基づき統治を行うことができた。権力者であっても法的ルールを守らなければならないとされたのは市民革命以降。
- 「法律による行政」の原理は主要内容として2つ
- 「法律の優位の原則」
- 法律規程と行政活動の内容が抵触する場合に、法律はあらゆる行政活動に対して優位する。
- 法律が未制定であったり、法律規定が欠ける場合には、優位原則を論ずる前提が欠ける
- 「法律の留保原則」
- 特定のタイプの行政活動について法律形式による議会の事前承認を要求
- 留保原則の2段階構造
- 義務賦課行為にも法律の根拠がいるが、行政による強制履行行為にも、義務賦課についての法律の根拠とは別に、法律の根拠が必要
- 行政権が乱用され人権が抑圧されたことの反省として
- 「法律の優位の原則」
- 法律の授権が存在する場合とは、換言すれば市民の同意が取得されている場合であり、その限りで、行政権は市民の自由や財産に対して侵害を加えることが許容されると解釈された。
- 法律の留保原則により要請される「法律」には条例を含む
- どのタイプの行政活動に法律が必要か