ITをめぐる法律問題について考える

弁護士水町雅子のIT情報法ブログ

ダイヤモンドにコメントしました

diamond.jp

ダイヤモンドの上記記事にコメントしました。タイトルが怖いので、「あれま、私このような記事だとは知らなかったわ。某週刊誌に続き、また雑誌対応失敗したかな」と思いましたが、内容を読んでみたら、口調は厳しいですが、妥当する記事かなと思いました。

 

私のコメントを以下にコピペします。自分でいうのはおかしすぎですが、私としてはとても良いことを言っていると思います。というか、通常の法制実務・役所仕事なら、私のコメントにあるような検討プロセスを経るはずですよね。

 

「これまで、税・社会保障・災害対策の分野で、マイナンバーがどのように使われてきて、効果を上げてきたのか。また、コロナ対策ではマイナンバーを利用できなかったが、もし利用できていたらどのようなことが可能だったのか、などの利用実態に対しての情報公開・検証と、それに基づいた用途拡大、というステップが踏まれていない」

マイナンバーカードの普及率が100%になれば便利なサービスが自動的に生まれるわけではない。普及率が上がってどんな社会を目指しているのかがまず示されなければ、国民の納得感は得られない」

 

社会課題は何か、

その解決に向けて何をどうやっていくのか、

効果をどう検証していくのか、

これらの説明を行うことが必要です。

自分としては正しいことを言っているつもりですが、特に誰も聞いてくれないのでねえ。まあ私としては制度がぐちゃぐちゃにされないように、しっかりと人の役に立つ制度になるよう、私にできることは一生やっていくつもりなので、いいですが。

 

マイナンバー関連をずっと見てきていますが、上記のように本来であればやるべき検討・説明が行われず、場当たり的な政策になってしまっているように思います。マイナンバーとIT政策について、ずーっとそう思ってきましたが、2020年以来のコロナ政策を見てもそう思ったし、2022年以来の統一教会関連を見てもそう思ったので、マイナンバー特有の問題ではなく、今の日本における政治・役所の問題なのかもしれません。

 

マイナンバー怖い」「マイナンバーで監視される」「国が召集令状をデジタル化できる」みたいな声がSNSで聴かれて、そういった声には真摯に対応しなければなりませんが、私が言いたいのは、マイナンバーにせよ何にせよ、制度は、人の役に立たなければ意味がないと思うのです。国のために人がいるんじゃなくて、人のために近代国家があるのですから。国が暴走するのを止めるように、憲法があって、裁判所があって、近代的なスキームがあって、国・権力が暴走しないスキームが足りないなら、そして現状スキームが機能しないのなら、それを変えないといけない。それはものすごく重要なことです。ただ、私はそこにはそこまで興味がなく(個人情報保護という観点からの国の暴走を止めるスキームにはものすごく興味がありますが)、それよりも、人の役に立つ制度になってほしいという思いが強いです。だって人の役に立たなかったら、存在意義がないじゃないですか。マイナンバーいらないじゃないですか。マイナンバーがあるから、記録が途中で途絶えたり、別人の記録を参照されたりしないで、正しく年金をもらえたり、税金を支払えたり、脱税が防止されたり、面倒な手続きせずに日々を快適にすごせたりとか、そういう風に人の役に立つ制度になってほしいのです。だから、そうなるように私にできることをやっていきたいのです。以上なんですよ、本当に。それが全然伝わらないのはなぜなのか。

 

あと最近興味があるのは、コロナ研究にデータが必要なのにデータが取れないという話も聞いたりするので、研究とデータ保護の在り方とか、コロナとかを例に考えていきたいなと思ったりもしています。

 

あとは、政治家とか公務員が特殊な人になってしまうと、国民との乖離が著しくなってしまうので、誰もが政治家や公務員になれるようになる社会にはどうしたらいいかというか、つまり政治家って、普通の人から見たらリスキーすぎてなりたくないじゃないですか。なりたいなって思った人がいても、自分の人生にとってあまりにリスクが高すぎるから、立候補する人ってものすごく特殊な人になってしまいがちじゃないですか。そうじゃなくて、多くの人がなりたいと思えるような制度に変えていけば、求人じゃないですけど、倍率が高くなれば、より優秀で、より人の心に寄り添う人が政治家になったりするのかなとか思ったりして、だから、そういう選挙とか政治参加の在り方とか考えたいなと思ったり、裁判員制度みたいにして、一般感覚を入れていくとか、

あとは、政治家と公務員の評価制度ですよね。評価されないし、事後検証されないから、結局「国民は忘れっぽい」みたいな感じで、国会で虚偽を述べてもいいようになってしまってたり、どこにいくら税金を投入しても、その効果検証もされないし、評価もされないみたいになっているのは良くないと思うので、でも今の行政評価ではそういう評価はできないように思い、公務員も政治家の言うままで評価されるっていうのは、国の政策がどんどん偏ってしまう可能性もあり(ただ、そもそも公務員は大臣の手足だとすると、大臣の言うまま仕事することが評価されるべきなのか、行政法上はどう考えるべきなのかよくわからないが)、政治家と公務員が人の役に立っているか、社会の役に立っているかという観点からの評価が行われるべきじゃないかなあとか思っているところです。